アンネ・フランクの人生とアンネの日記 / アンネ・フランクの家:アムステルダム

オランダ、アムステルダムで有名な観光地である「アンネ・フランクの家」。毎日行列ができていて入場するのに2時間くらい待つこともよくあります。この「アンネ・フランクの家」は、入場前にアンネのことを知っていると、より一層興味を持って見学でき、何より当時の恐ろしさ、辛さ、アンネ達の暮らしぶりを実感できるかと思います。以下にアンネ・フランクという少女、及び彼女を取り巻いていた環境について書かせて頂きました。この記事は「アンネの日記  増補新訂版(2003年4月10日), 著:アンネ・フランク, 訳:深町眞理子, 発行所:株式会社文藝春秋」からの引用文が使われております。

アンネ・フランク

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アンネ・フランク(Annelies Marie Frank)(1929-1945)は「アンネの日記」の著者であるユダヤ系ドイツ人の少女。ドイツのフランクフルトに生まれ、当時ドイツ国内で反ユダヤ主義を掲げていたナチスの迫害から逃れるために、オランダのアムステルダムに家族とともに亡命しました。

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第二次世界大戦中も中立を保っていたオランダでしたが、最終的にたった5日間でドイツ軍がオランダを占拠し、オランダでもユダヤ人の虐殺が行われて行きました。そんな中、政府からアンネの姉であるマルゴー宛てに「出頭の手紙」が届いたことをきっかけに、オットーは家族で「隠れ家」に身を潜めることを決意。その後、アムステルダムのプリンセンフラハト通り263番地の隠れ家(オットーの職場の3階、4階)に身を潜めることとなりました。このプリンセンフラハト通り263番地が、現在「アンネ・フランクの家」として連日観光客が数多く訪れるスポットとなっております。

約2年間、隠れ家での生活を送っていたアンネ及びその家族ですが、近隣住民(諸説あります)による「密告」という形で1944年8月4日にナチス親衛隊(SS)に捕まってしまいます。ドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所に姉のマルゴーと共に連れて行かれ、劣悪な環境の中チフスにかかり、アンネは1945年3月頃(推定)に亡くなってしまいました。隠れ家に身を潜めていた家族の中で、最後まで生き残ったのはアンネの父オットー・フランクのみでした。

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アンネがオランダに移住し、隠れ家で身を潜めていた期間に書いていた彼女の日記「アンネの日記」は、戦争の終了後に父オットー・フランクによって出版されました。出版当時はなかなか売れていなかったようですが、アメリカで映画化、劇化されたことがきっかけにもなり、1960~70年代にかけて非常に有名に。「アンネの日記」は70以上の言語に翻訳がされ2500万部以上のベストセラーとなっております。

 

当時のユダヤ人の生活

この日記を読むと、1900年代半ば当時のユダヤ人達がいかに人種差別により苦しめられていたかが良くわかります。2年間外出できなかったアンネですが、ラジオなどの情報をもとに日記を綴っております。

1942年6月20日:「私たちの自由はほとんど制限されてゆきました。」「ユダヤ人は自転車を供出しなくてはいけない。ユダヤ人は電車に乗ってはいけないし、たとえ自家用車でも、自動車を使ってはいけない。ユダヤ人は午後の3時から5時までのあいだにしか買い物ができない。」(p. 25)

この他にも娯楽施設入場は禁止され、夜8時から朝6時までは外出が禁止されるなどユダヤ人であることが理由に無数の制限がされていたことがこの日記からわかります。単に「ユダヤ人だから」…という理由で。強制収容所内では飲み水や食べ物などほとんどない劣悪な環境で、アンネも食べ物の不足やしらみなどに悩まされたとの文献があります。

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当時、オランダには数多くのユダヤ人たちが住んでおりましたが、ユダヤ人14万人のうち、4分の3以上がナチスによって強制収容所に連行され殺害されてしまいました。文献やドキュメンタリーによれば、当時多くのユダヤ人たちは、アンネ達のような「隠れ家」を探し、かくまってくれるオランダ人を探していたんだそうです。アメリカなど他国の人々がオランダ人へ抱くイメージの一つとして「自らの危険を顧みずユダヤ人をかくまった勇敢な人々だ」などとも言われております。一方アムステルダムに隠れていた多くのユダヤ人たちは、近隣の密告によって見つかってしまったとも言われております。

 

アンネの才能

アンネの日記を読んでいると、アンネ・フランクという少女がどのような女の子であったのか、そして彼女の才能や将来の夢についてもよく分かってきます。

19422年6月12日「あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、なにもかもお話しできそうです。どうかわたしのために、大きな心の支えと慰めになってくださいね。」(p. 14)

という書き出しで始まる「アンネの日記」。この日記の興味深いところは「だれよりも大切なキティへ」「親愛なるキティへ」といった形で、「キティ」への手紙のような形式で書かれております。「キティ」とは、彼女の書いているその日記帳そのもの、もしくは「キティ」という架空の人物に宛てた手紙であることが分かります。

また、アンネは将来ジャーナリストになりたかったのだそうです。そしてその当時の様子を世界に向けて発信したかった。その時にこの日記はとても役に立つだろう、と思っていました。

1944年5月11日「私の最大の望みは、将来ジャーナリストになり、やがて著名な作家になることです。」「戦争が終わったら、とりあえず『隠れ家』という題の本を書きたいと思っています。」(p. 510)

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最後に、この本の訳者である深町さんのあとがきを引用させていただきます。この引用が、まさに私たち現代に生きる人々が学ばなければならないことであるように感じました。彼女はナチスによるユダヤ人大虐殺をはじめ、ボスニア、パレスティナなどで起こる世界の紛争について以下のように綴られております。

「異質なものへの不寛容」が問題の根源となっており、こうした状況を変えていくためには、「たがいに異なっていることを認めあい、尊重しあうことが」(p. 590)大事である。


 

アンネの日記を読んだ感想

この本を通して、当時のアンネをはじめとするユダヤ人の人々がどのような生活を送り、どのように迫害、差別され、そしてどのような気持ちで日々を過ごしていたかがとても良く分かってきます。

一方この本で最も目を引かれるポイントは、アンネという少女の人間性や性格などがとても詳細に、深く描かれていることです。例えば日記の中盤に、ペーターという一緒に隠れ家で暮らす男の子との恋愛模様について綴っています。

「きのうの日付けを覚えておいてください。わたしの一生の、とても重要な日ですから。もちろん、どんな女の子にとっても、はじめてキスされた日と言えば、記念すべき日でしょう?」(p. 461)

その他、ピーターへの愛が数多く日記の中に出てきます。

また、隠れ家での人々の生活模様も詳細に書かれております。アンネの家族(フランク一家)とピーターの家族(ファン・ダーン一家)が食事のことで揉めたり、アンネが家族やファン・ダーン一家の愚痴をふんだんに綴っていたりもします。アンネ・フランクという女の子の人間性や観察力などがリアルに描きだされている。

アンネは日記の中で、自身の性格について、「自分自身を客観視でき、自分の良いところ、悪いところは分かっていて、将来に向けて努力する」と言っており、自分自身の性格分析のようなことも日記の中に記述されております。


 

アムステルダムのアンネ、及びユダヤ人達の歴史を感じるスポット

①アンネ・フランクの家

アンネ、及びその家族たちが住んでいた「隠れ家」。オランダ、アムステルダムの中でも屈指の大人気観光スポットになっております。チケット予約やアンネフランクの家の詳細に関してはこちらをご覧ください。

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②西教会

アンネ達の隠れ家のすぐ隣にある教会。この教会の鐘を聞いたアンネは「この鐘もお友達になれるわ」などと言っております。30分おきに美しい鐘が鳴り響きます。教会の上に登ることができ、美しいアムステルダム市内を見渡すこともできるスポットです。

 

③アムステルダム市庁舎周辺エリア

市庁舎周辺は、現在でも数多くのユダヤ人の方々が住まれているユダヤ人居住区。当時アムステルダムに住んでいたユダヤ人の名前が刻まれたスポットがあったり、またオランダ出身のユダヤ人哲学者「スピノザ」の像が立っていたりします。ユダヤ人博物館やレンブラントの家もこのエリア。

アムステルダムの市庁舎周辺のより詳しい情報は以下のページをご覧ください。

アムステルダム市庁舎周辺情報

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④メルウェーデ広場

この広場はアンネ・フランク一家が隠れ家に引っ越す前に暮らしていたところ。現在も住宅地が静かな公園を囲んでおり、公園の端にはアンネの像が立っております。


 

ツアーのご紹介

Happy Tour -Netherlands & Belgiumでは、アンネフランクの家入場を含むツアーを行っております。チケット予約に不安のある方やアンネの歴史をより深く実感したいという方にはオススメのツアーとなっております。

アンネフランク巡りと観光ツアー

またその他、オランダ、ベルギーにて様々なツアープランを揃えております。オリジナルプラン作成では、お客様のご興味に合わせてツアーのプランを作成することが可能となっておりますのでぜひ、ご興味がございましたらご連絡ください。

オランダ・ベルギーオリジナルプラン作成

ブリュッセル発ツアープラン一覧

アムステルダム発ツアープラン一覧

 

以上、オランダ、アムステルダムよりアンネ・フランクに関する情報でした 🙂 🙂 🙂

<参考文献>

アンネの日記  増補新訂版(2003年4月10日), 著:アンネ・フランク, 訳:深町眞理子, 発行所:株式会社文藝春秋

 

 

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