クラクフ旅行紀(前編)街の様子を中心に

こんにちは、オランダ・ベルギーのツアーガイドのしんちゃんです。2018年から個人ブログに書いていった内容をアップデートしつつ、ハッピーツアーの公式ページに移行していくこととなりました。今回は2019年1月にポーランドのクラクフ旅行の内容になっています。

クラクフ旅行紀(前編)

ポーランドの首都はワルシャワで、クラクフはポーランドの古都。日本でいう京都みたいな位置付けでしょうか。南側の都市でスロバキア、チェコなんかにもすごく近い場所になってます。

とにかく寒かったです。マイナス3度とか5度とかそれ以下です。雪もたくさん降っていて風も強い。東欧の冬を完全に舐めきっていました。

寒すぎる

ポーランドって僕個人的にはあまりイメージの湧かない国で、僕のような人も多いと思うので有名所を列挙してみます。

・ピアニストのショパンの出身地

・1989年から民主主義が始まり、それ以前は共産主義国家であった。

・EU加盟国

・アウシュビッツ強制収容所がある

・「シンドラーのリスト」という映画の舞台(クラクフ)

・ポルチーニ茸がよくとれる

・イチゴなどのベリー類の輸出が世界トップレベル

見て分かる通り、イマイチぴんとこない?印象です。以下に写真で雰囲気を紹介させて頂きます。

旧市街:右に見えるのが聖マリア教会という世界遺産登録がされているゴシック様式の教会で、確かに内装はゴージャス。ヨーロッパの街にはこういう広場みたいなのがあって、そこを中心に街が形成されていることが多い
聖マリア教会の内部
ヴァベル城:1611年に首都はワルシャワに移されましたが、歴代の王41人が埋葬されているお城。クラクフのシンボル的な位置付け
帰り道のライトアップ

写真はたくさん撮りましたが見ての通り、ちょっと薄暗かったり夜景が中心。というのも午後4時前には暗くなってきて、日中もどんよりな天候でした。これが典型的な東欧の冬なのだと思います。

グルメの紹介

ポーランド料理には「ピエロギ」と呼ばれる餃子みたいな食べ物があって、厚い皮でお肉、野菜、チーズ、デザートなど様々なものを包んで食べるのだそうです。僕はお肉の入ったピエロギを食べてみたけど、分厚い皮がモチモチしていて美味しかったです。

ピエローギ

もちろん日本の焼餃子の方が僕の舌には合っていたけど、食べ慣れてるからね。このキノコのスープが凄く美味しかったです。

きのこのスープ

ビールの種類は豊富でした。ラベルもそれぞれ特徴的で、いくつか飲んでみました。ラガービールが多いから、どれも日本でよく飲むビールの味に似ていた気がします。僕の舌に合っていたのは「OKOCHIM(オコチム)」というメーカーの白ビール。麦の香りとスッキリした飲み具合が好みでした。

レフ
コゼル

クラフトビール屋さんも2件はしご。「はちみつのビール」なるものがありましたがこれは苦手でした。でもポーランドは養蜂も盛んに行われているのだそうです。

ビールテイスティング

前置きが長くなりましたが早速、メインテーマに挙げていたアウシュビッツ強制収容所の様子を紹介させて頂きます。

アウシュビッツ強制収容所(パート1)

雪が降り積もる寒い朝。旅の目的の一つ、アウシュビッツ強制収容所に行ってきました。英語のガイドツアーに参加して約5時間の見学時間。主要な場所のみ解説してくれるガイドツアーなのに5時間かかるとは。。。広い施設であることに圧倒されてしまいました。

「働けば自由になれる」と書かれた入り口

ここは第二次世界大戦中、ドイツのアドルフ・ヒトラー率いるナチスにより、ユダヤ人をはじめ政治犯や刑事犯、同性愛者など合計で少なくとも約130万人の人々が連行され、ほとんどの人々が過酷な労働や殺害(毒ガスなど)、人体実験された強制収容所。1942年頃からは最大の「ユダヤ人絶滅センター」として機能していた場所でもあります。

ユダヤ人は、完全に絶滅させねばならない、人種である(ハンス・フランク)

アウシュビッツは主に3つの収容所からできていて、アウシュビッツ1号本収容所、アウシュビッツ2号ビルケナウ収容所、アウシュビッツ3号モノビツェ収容所となっています。ビルケナウ収容所が最大で9万人前後を収容していた時期もある最大の収容施設で、アンネの日記で有名なアンネ・フランクも、2号ビルケナウ収容所に一時的に滞在していたと言われています。

今回は本収容所とビルケナウ収容所の2箇所を英語のガイドツアーに参加して見学してきたので、写真とともに様子をご紹介していきます。

*ところで、なぜユダヤ人が虐殺にあったのか。それは

狙いの一つは、明確な敵を作ることによって、ドイツ国民を一つにすることにあります。またヒトラーは「優生学」に関心を持ち、「優性民族」のアーリア人こそがドイツを支配し、ヨーロッパを統一すべきと考え、「劣等民族」のユダヤ人を迫害、国外に追放することを目指しました。

という理由であったりします(以下参考文献より引用)。詳しく知りたい方はぜひ以下の記事を参照ください。

https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/4359

アウシュビッツ本収容所の様子

静かで重苦しい雰囲気、天候も不安定な一日でした。この凍えるような寒さの中、食事も満足にできず劣悪な環境で収容されていた人々がいたと思うと・・・。

ユニクロのヒートテック、ダウンジャケット、マフラーなどなど完全防備でもものすごく寒くて、風も強い。マイナス10度を軽く超える極寒の中でも、人々は薄着で強制労働をさせられていたのだそうです。

人々が収容されていたバラック:意外と大きい建物が並んでいた印象
この1つのベット少なくとも2人が寝ていたという
見張り塔から常にドイツ軍が監視している
鉄柵によって囲まれている。越えようとする者はその場で射殺されたし、200ボルトの電流が流れていた

アンネ・フランクの友人は以下のように語っています。

「たまたま私は配給でパンをもらったから、柵の向こう側にいる幼馴染のアンネに向かって、パンを投げたことがありました。1回目は失敗。柵の向こうにはアンネ以外にも無数のお腹をすかせた人々がいて、私の投げたパンは別の人に取られてしまいました。2回目に投げてようやく彼女に渡すことができましたが、それがアンネを見た最後でした。(アンネ・フランクの家の音声ガイドより引用)」

絞首刑台:早朝、点呼が行われるタイミングで絞首刑が公の場で行われていた
収容されると髪の毛が切られます。この髪の毛で絨毯などを生産していた。戦後、数トンもの髪の毛が発見されている。

「到着するとすぐに、髪を坊主にされ、番号が身体に打たれます。全員が丸坊主で同じ服を着て、番号が当てられると、その時点で人々は個としてのアイデンティティを失ってしまいます。」

そんなガイドの解説もありました。

人々が殺害されたガス室
ガス室で殺害された人々を焼く焼却炉:収容されていたユダヤ人労働者が、殺害された仲間の死体を焼却させられていた
しょうがいを持った人々は基本的にはそのままガス室に送られた。
ガス室に送られる人々;写真のタイトルは「On the way to death(死への道)」
チクロンBという毒ガスの発生する薬物。ある一定の温度に達すると蒸発し毒ガスが発生。「シャワールームで身体を洗え」と命令された人々は全裸になり、ガス室に誘導された。ガスマスクをつけたドイツ人が部屋に入り、ガスを発生させた。このガスを吸うと窒息死するが、寒い日は蒸発温度に上手く調節できず、数時間経ってもまだ苦しみながら呼吸をする人もいたとのこと。

この収容所で行われたユダヤ人虐殺は、人を差別することの最も極端な形だったのだと思います。ユダヤ人だからという理由だけで殺害されてしまったのだから。「昔の事だからな」と思っても、1940年代って約80年前だから、僕は最近の出来事のようにも感じました。

差別という視点で言えば、学校のいじめも同じなのだと思います。このヒトラーの行ったユダヤ人虐殺の政策と、学校のいじめを比べるのは的外れではないと思うし、差別で人を苦しめるという点は共通です。ここに来て改めて、人を差別することの恐ろしさを実感しました。ちょっとした自身の発言が他人を傷つけて、その言動はこの収容所で行われた悲劇と同じであったりするのだから。

続きはまた次回。

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